2008年6月12日(木) 19時
13日(金) 19時
14日(土) 15時
舞台美術
舞台監督
照 明
音 響
音響オペ
大 道 具
小 道 具
宣伝美術
企画制作
OMOTO
中村公彦(イリスパンシブルティ)
平野行俊
細川ひろめ(マナコ プロジェクト)
もりひろふみ(劇団MICHI)
OMOTO&CHORISA&AYA
honoka
OMOTO&HONOAYA
パオ カンパニー
作・演出 田井順子より一言
一昨年3月、知人の息子が自殺した。17才の高校2年生だった。
両親ともに福祉の仕事にひたむきに従事する、心優しい善良な人たちだった。
だから、人伝てにその訃報を聞いた時、この世の不条理を思わずにはいられなかった。
アルベール・カミュは「シジフォスの神話」の冒頭で、
≪真に重大な哲学上の問題は、ひとつしかない。自殺ということだ。
人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。≫
と言っているが、カミュの考える不条理とは、この世界は理性では割り切ることができない、しかし
全ての人間の魂の奥底には、人生が生きるに値するか否かの答えを明晰に求めている、死に物狂いの願望が
激しく鳴り響いていて、この両者がともに相対峙したままの状態のことであるという。
自殺してしまった少年の遺書を読ませてもらったが、17才の少年が、必死に生きるに値する意味を
見出したいともがいていた心の叫び声が聞こえてきて、彼が、あまりにも早急に答えを出してしまったことに、
やるせない思いでいっぱいになった。
そして、この企画を具体的に進め始めた最中、さらなる悲報を受けることになってしまった。
dj klockとして国内外で音楽活動を続けていた甥が、33才の若さで命を絶ったのだ・・・・・・・・・・。
三人の登場人物を通して、人間の奥底で激しく鳴り響く、死に物狂いの願望をあぶり出したいと思っています。
音楽は、dj klockの曲を使います。
前回の公演(2006年10月)終了後から、今回の作品の構想は練られており、基礎稽古に多くの時間を費やし、
丁寧な芝居と緻密なアンサンブルを構成できるように、取り組んでいる。
dj k l o c k への片道書簡
人々の心が爛れ、世界は、筋道の通らぬ不条理で満々ています。
そんな時代の中で、ある種の人間に常に聞こえているシ(死)の音。
シの音は、導音と呼ばれ、解決を望む、人間の心の奥底で鳴り響く、希求する音・・。
dj k l o c k 亮、あなたも、その音を常に聞いていたのですね・・・・・・。
1999年の春、下北沢のあなたのアパートを訪ね、あなたの創っている音楽を初めて
聴かせてもらった時、あまりよく分からなかったというのが正直な感想でした。
でも、あなたが真剣に自分の内なるものを見つめ、自分の音楽を創りだそうとしている、
そのことだけは、とても強く感じました。
あの時、私は一本のビデオテープをあなたに手渡しました。それは、私が、音楽から
演劇へと進む道を変えてから30年、そんな長い時間をかけて、かけてと云うより掛かっ
てしまったのですが、
<崖っぷちに立っている人に届く言葉ってあるんだろうか?>
そう自問自答しながら、やっとの思いで創り上げた舞台 「階段の上の少年」の公演ビデオ
でした。あの時のあなたは、言葉に対する拒絶反応のようなものがあって、話したいと
思っていたことを何も話せませんでした。
だから、あの作品が、奇遇にもあなたと同じ名前の少年の存在があって生まれたんだと
いうことも、あの作品の中に出てくる<シ>の音についても、何も伝えることが出来ま
せんでした。ただ、別れ際にあなたが言った、
「叔母ちゃんの作品の為に、僕は曲を創ることは出来ないけど、もし叔母ちゃんが、
僕の曲を使いたいと思ってくれるなら、いつでも使ってくれていいよ。」
そう言ってくれたのが救いでした。
もう少し時が経てば、じっくり話せる時が来る、そう願っていたのですが・・・・・。
今となっては、あのビデオを観てくれたのかどうか、知ることは出来ません。
でも、そんなことはどうでもいいのです。大切なことは、あなたが、自分の創った曲の
最後に、意味ある音として、明確なる意志を持って、希求する音、シの音をおいたという
ことです。
あれから9年、あなたが魂を込めて創ってきた曲を初めて使わせてもらいます。
私の愛する甥< d j k l o c k >亮、あなたの遺したCDから、あなたの魂、メッセージ
が伝わってきます。
舞台を観に来て下さった多くの方々にも伝わりますように・・・・・
作・演出 田井順子
ただ