〜上演パンフレットより〜
  ≪ 精神の風が  粘土の上を吹いてこそ  はじめて人間は創られる ≫

 サン=テグジュベリは『人間の土地』の最後に、この言葉を置きました。
 粘土の上とは、サン=テグジュベリが、長い汽車旅行の途中で、ナチスドイツの台頭で
フランスを追われ、三等車で故国ポーランドに向かう数百人のポーランド人労働者を目撃
します。その中にいた小さな乳飲み子を連れた夫婦の様子が克明に描かれているのです
が、その父親のことを、

  ≪ 石のように重く裸な頭蓋、 凸と凹からなって、労働服に包まれ、
    窮屈な眠りのうちに折れ曲がっている肉体、
    彼は粘土の一塊(かたまり)のようにみえた ≫

と表現しているのです。そして、そんな粘土の一塊が、あちらにもこちらにもごろごろしていた
とも書いています。
 ついこの間まで、ごく当たり前の市民生活をしていた彼らの、あまりに無残な変わり様を、
彼らと同じ三等列車の中に身を置いて、何故、彼らがそんなにも無残な姿に成り果ててしま
ったのかを、サン=テグジュベリは、しっかりと見つめ考えていたのです。

 若い人たちに訊ねてみたいのです
   「精神の風を感じたことはありますか?」
   そして、
   「あなたは精神の風に吹かれたことがありますか?」

 もしもその答えが 「イエス」 ならば、きっと、あなたの中でその風が動き出し、あなたに生き
る意味を問い、何をすべきかを気付かせてくれるでしょう。もしかすると、もうすでに自分の役
割を認識し、何かを始めているかもしれません。
 それでは、もしも、その答えが 「ノー」 の場合はどうなのでしょうか。そうだとしても、それは、
あなたの能力が劣っているわけでも、あなたの感受性が鈍いわけでも決してありません。あな
たのせいではないのです。すこし先を生きてきた私たちの責任だと思っています。私が芝居を
書くのは、そういうあなたに、眼には見えないけれど、精神の風というもののあることを伝えたい
と思い、そうしてなんとかして精神の風を舞台上に生み出し、その風があなたの心に届くことを
願って、舞台を創っているのかもしれません。

  ≪ 雲からも 風からも その透明な力が そのこどもに(あなたに) うつれ! ≫
       *この言葉は、宮澤賢治が『稲作挿話』よいう詩の最後に置いた言葉です。


 1973年9月11日火曜日にチリで何が起きたのか
 1970年9月、チリの人々は、労働の対価や、国の富をみんなで分かち合える社会を夢見て、
もっとも民主主義的な方法、選挙で、サルバドール=アジェンデを大統領に選出しました。その、
国民が選んだアジェンデ政権を倒すために、アメリカが後ろ盾になって(チリには3,000社以上
のアメリカ企業が参入していました)軍事クーデターを起こし、アジェンデ大統領を殺害し、彼を
支持した、武器も何も持たない善良な市民を次々に、想像を絶するような方法で虐殺していき
ました。その数は、少なく見積もっても三万人になると言われています。
 チリの人々に愛され、絶大な影響力を持っていた、ビクトル・ハラは、ファシストたちにとっては、
もっとも憎むべき人間の一人だったのです。
 ビクトル・ハラの歌声を初めて聴いたとき、あまりに優しい声の響きに、涙が溢れてきました。
そして、今回の『風が吹く』の中で、彼が本物の人間であったことの証として、彼の歌声を観客の
皆様にも聴いて頂きたいと思いました。そして彼の詩を、すばらしい日本語に翻訳された、八木
啓代さんに 『宣言』を舞台上で読ませて頂きたいとお願いしたところ、快く承諾して下さいました。
 ビクトル・ハラの歌声が、そして詩が、どうか皆様の心の届きますように・・・・・。


 今回の 『風が吹く』 の中に、新潮文庫・堀口大學訳の 『人間の土地』 を原文のまま使わせて
頂くことをお許し下さった、高橋すみれ様と、八木啓代様に心より感謝しております。
 本当にありがとうございました。
そして、前回公演に引き続き、今回も、橋本知久君が作品に寄せて、『Libellulidae』(リベルリダエ)
という曲を作ってくれました。彼との出会いは、第1回公演 『階段の上の少年』 の時。観客の一人
だった当時17才の知久君と、こんな形で触れ合っていられることを、とても嬉しく思っています。
 知久君の曲は、道化ショーの最後の部分から次のシーンへのブリッジとして使われています。
                                             田井順子



『複眼的視点のススメ』    橋本知久

 『夜間飛行』をし、サン=テグジュベリが飛行機から見た世界。その時彼は世界と人間とを新し
い視点で見ることができた。ある一つの見方しかできなくなったとき、それはとても危険だ。いろい
ろな違った視点から個人が自立した精神を持って物事を考えることができるなら、世界はよい方
向へと進んでいくのだろう。
 大命題として与えられた“風”。そしてビクトル・ハラ。サン=テグジュベリ。9.11。道化師。さま
ざまな要素が溶け合った、この劇をイメージした作品。それがこの曲を制作する出発点だった。
 “風”を送り込んで音が出る楽器を使おうと考えた。そしてそれは澄んだフルートではなく、上品な
クラリネットでもなく、Hautboisとも言われるオーボエだと思った。4人の道化師の一人、ナムールを
オーボエ、そして若い三人の道化師たちをヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとイメージしながら。そして
その曲の題名を『Libellulidae』とした。 『Libellulidae』(リベルリダエ)はラテン語でトンボ。“小さな本”
を意味するそうだ。世界各地に生息するが、嵐の前兆など風ともつながる昆虫がトンボだ。インディ
アンのオブジワ族は<サスペカ>というトンボの一種を霊虫とみなし、人間に「用心しろ、身の破滅
だぞ」と警告する虫として恐れていたという。そして僕は、飛行機に乗り空を行くサン=テジュベリの
姿にトンボのイメージを重ねた。舞台は世界へとつながっている。そろそろショーが始まりそうだ。
 




































風が吹く

 木立をわたって 一陣の風が吹きぬけた
 真夏の カンカンと照りつける日差しの中で
 逝ってしまった 累々(るいるい)たる命のことを想う

     風のなかに ふと
     血なまぐささを感じはじめたのは
     いつの頃からだったろうか

 遊んでいた土手いっぱいに
 イヌフグリの花が咲いていた
 幼かった 遠い日の記憶・・・・・・・

     カーキ色したジープが
     疾風のごとくやってきて
     衝撃音とともに 小さな水色の花をけちらした

 5才の私の眼に焼き付いたのは
 ハンドルに首をうなだれ
 動かなくなってしまった兵士の頭が 金髪で

  血で真っ赤に染まっていたということ

 1954年 早春
 進駐軍(アメリカ)の若い将校の
 スピードの出し過ぎによる 交通事故死

     しかし この事件は
     幼い私の脳裏に
     戦争の記憶として残った

 あの頃からだったような気がするのだ
 風のなかに
 血なまぐささを感じはじめたのは

            2002.8.6  田井順子


 


2002年11月15日(金) 19:30
         16日(土) 14:00/19:00
         17日(日) 14:00

名演小劇場

ナムール 
ピノッキオ
キーソチカ
キャロット

田井順三
緒方 綾
石垣帆乃香
公門加奈

舞台美術
照   明
音   響
作   曲
衣   裳
バイオリン指導
メイク指導
宣伝美術
印刷協力
企画制作

OMOTO
安藤昇益
細川ひろめ(マナコ・プロジェクト)
橋本知久
渋谷けさを  石垣帆乃香
寺井祥子
大棟耕介(プレジャーB)
OMOTO
木野瀬印刷(株)
パオ カンパニー