ひとり芝居『階段の上の少年』は、劇団 PAO COMPANYの旗揚げ作品です。

 この作品は、一人の少年との出会いと、傷ついた心の扉を開いてくれた彼との約束から生まれたもので、19992月に上演しました。

 初演のこの舞台を観て下さった多くの方から、もう一度観たいという要望を頂きながら、再演を果せないでいましたが、昨年の1月頃、
ある方から『階段の上の少年』を、今、この時期に是非もう一度観たいという気持ちを聞かされ、その強い思いに後押しされ、劇団として
今一度原点に立ち返りたいと、再演を決めました。
 初演から
12年の年月を経て、この2011年にふたたび上演することに大きな意義を感じています。


    先行き不安で、暗澹とした閉塞感が漂う時代の中で、心の闇から抜け出す道は果してあるのか?
    人は何処から来て、何処へ向おうとしているのか? 
    崖っぷちに立っている人に届く言葉ってあるのだろうか?



 死刑囚永山則夫の遺したノート、特に「無知の涙」を縦糸にして、人間にとって、アイデンティティーを持つとはどういうことなのかを
強く問いかけた初演の台本構成をいかして、初演にもまさる、魂を揺さぶる舞台にしたいと思っています。



 ふたり芝居『雨の午後』は、「人間にとって、言葉って何だろう・・」ということをテーマにした、田井順子の新作です。

 ≪人間にとって言葉とは≫という重要な命題に、姉妹の素朴な対話を通してアプローチしていきます。
 わかりやすく肩のこらない哲学ドラマです。
 田井順子が出会った小さな男の子との実話を基に創られています。



作品について

 ひとり芝居『階段の上の少年』 (上演時間 1時間15分)

 暗闇の中で「階段の上の少年」の詩が静かに聞こえてくる。

   《宙に浮いた階段の上に 青白い顔をした少年が立っている
   少年の目は すべての輝ける色彩を灰色に 美しい夕焼けを血の色に染めてしまう
   少年の顔も身体も 湧き出でる生命の輝きを失い 遠い昔に死んでしまった人のように見えるけれど
   閉じこめられた世界のなかで 少年は生きている 確かに生きている
   僕は聞いたんだ 少年が微かな悲鳴をあげるのを》

 鉄の踏み板が、いきなりバーンと二つに割れたような音。

 明かりが入ると、そこは男のアパートの一室。
 男は、舞台俳優で公演初日を目前にして、耳鳴りのように「それでいいのか?それでいいのか?」という声が聴こえ、悩んでいた。

 男の心の中には、いつの頃からか、宙に浮いた階段の上に青ざめた顔で立っている、一人の少年が棲みついていた・・・・・。
 少年とは、
1968年に起きた、ピストルで4人が殺害された連続射殺魔事件の犯人、19才の少年永山則夫・・・・。

 閉塞状況の中で、役者として、絵空事ではない言葉を発するには、どうすればいいのか? 
 階段の上の少年に語りかけながら、本当の言葉とは・・・、アイデンティティー(自己同一性)を持つということはどういうこと
 なのかを、自問していく・・・・・。




 ふたり芝居『雨の午後』 上演時間 25分)

 あれかとこれかは二卵性双生児の姉妹。 
 二人は、地域の劇団に所属し、あれかはペットショップでアルバイトをしながら劇作を続け、これかは児童養護施設の保母として働いている。


 ある雨の日の午後、あれかは仕事帰りに、公園に捨てられ震えている子猫を見つけ、見過ごすことが出来ずハンカチでくるんで抱きしめる。
そこに仕事帰りのこれかが通りかかる。その日、これかの働く施設には、3才になるカンちゃんという男の子が保護されて来ていた。
カンちゃんは生まれてから、かろうじて食事は与えられてはいたものの、誰からも言葉をかけられずに3才になっていた・・・・・


















作品について