『階段の上の少年』と『大論理学ノート』
　
　男が対話するその少年とは、１９９７年の５月にあの神戸の14才の少年が逮捕
されて、３ヶ月も経たない間に死刑執行されてしまった永山則夫さんのことです。
　彼は１９才の時に、ピストルで４人の人を殺害するという衝撃的な事件を起こし
てしまいました。ご存知の方もあろうかと思いますが、彼は逮捕されてから、ノート
を書き始め、夥しい（おびただしい）量の本を読破していき、たくさんの詩や小説
を書き残しています。　劇中で男が、

　　　　「君の『大論理学ノート』を読んだよ」

というそのノートとは、『無知の涙』とタイトルをつけて書き出した最初のノートから、
１０年余りたってから、書かれたノートのことです。
　今回、この作品を書くにあたって、あらためて彼について考えた時、今まで気づ
かないできた、ひとつの事に気が付きました。　それは、『知』という漢字について
でした。　

　　　　　『知』とは何故、弓矢の矢と口と書くのか？　

　今は弓矢を使う時代ではないから、矢をピストル、銃に置き換えて見ると、銃口。　
私の中でひとつの映像が生まれました。　それは、

　　〈　ある日猟に出かけた父親が、草原の草むらに走るものを見つけ、矢を放った。　
　　　　仕留めた獲物を取りに行った父親は、驚きのあまり、その場に崩れた。　
　　　　父親の放った矢は、彼の愛する息子の心臓を貫いていた。〉

　というものでした。　知という字は、矢が向けられている先をしっかり知らなければ、
悲劇が起きてしまうぞという、先人たちの、戒めのこもった一字なのではないでしょうか・・・・・。
　現在の子どもたちの心の荒れを思う時、あらためて、私たちは、『知』について考えて
見る必要があるのではないかと、痛感しています。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　田井順子

　役者である一人の男は、公演初日を目前にしてーそれでいいのか？
それでいいのか？－という、自らの内部から突きつけてくる声に悩んでいた。
　男の心の中には、いつの頃からか、宙に浮いた階段の上に青ざめた顔で
立っている、ひとりの少年が棲みついていた・・・・・。
　閉塞状況の中で、役者として、絵空事ではない言葉を発するには、どうす
ればいいのか？階段の上の少年に語りかけながら、本当の言葉とは、自己
同一性（アイデンティティ）を持つということはどういうことなのかを、自問して
いく、ひとり芝居。